西宮の城巡りポタリング(越水城、瓦林城、富松城)
先週の日曜日のこと、前日までの大雨がやっと上がり、朝から自転車に乗れそうだったので、西宮の城巡りポタリングをしてきました。
西宮には、現存する城はありませんが、城跡が二つあるのです。
一つは越水城(こしみず)、もう一つは、瓦林城(かわらばやし)です。
まずは、越水城です。
今は、小学校となっていて跡形もないですが、小高いところにあり、また周りの道も城跡を連想させます。
書籍によれば、
ここは足利尊氏と直義がこの辺りで戦った時に、陣所が置かれた場所で、その跡に永正16年(1519)瓦林正頼が築城した城がこの越水城とのことです。
その城の範囲は、南北およそ200m、東西およそ100mで、西国街道の要となったそうです。
その後、正頼は細川氏の内紛で高国方につき、敗れて堺に亡命し、切腹します。
正頼の死後は、三好氏が入城しますが、瓦林氏と一向一揆が共同で城を奪い返し、瓦林の一族が城を守ることとなります。
しかし攻防を繰り返し、三好氏の居城となりました。
その後、足利義親が入城するなどありましたが、織田信長の入洛とともに歴史の表舞台から姿を消し、17世紀初頭には、廃絶されたと考えられています。
この城は、堀・壁・土居・矢倉を備えた本格的な城郭建築であったと考えられ、天守閣が初めて備えられたとしている書籍もあります。
今では、越水城碑が残るのみですが、前情報により色々と想像できて楽しめました。
アクセスは、阪急夙川駅から歩くのが近そうです。
次に訪れたのは、瓦林城跡です。
こちらは、今は日野神社となっています。
ここも名前の通り、瓦林氏の城です。
書籍によると、
もともと赤松氏の城として存在していた様です。
その後、瓦林氏の城となり、越水城の東の要となっていました。
元亀元年(1570)に信長方についた瓦林氏は、三好の軍勢と戦い、瓦林城は落城、男女百十余人が討死するという壮絶な最期とともに、その歴史を終えています。
こちらは全くの平地ですが、周囲に堀の後を連想させる小川(?)があり、これもまた想像を掻き立てられました。
アクセスは、阪急西宮北口駅から徒歩が良さそうです。
最後に訪れたのは、西宮の隣の市、尼崎市にはなるのですが、富松城跡です。
書籍によると
この城の範囲は、東西150m、南北200m以上あり、土塁と二重の堀を備えた城であった様です。
周辺には、尼崎城、伊丹城、越水城があり、戦略上の要地として幾度も戦乱に巻き込まれました。
先に書いた細川澄元軍に対抗して越水城を守っていた瓦林正頼を助けるため、細川高国が陣を置いていました。
訪れた時には、地元の方(?)が草刈りをされていました。
アクセスは、阪急武庫之荘駅からバスか徒歩が良さそうです。
今まで、西宮の歴史を特に歴史を詳しく知りませんでしたが、その一端を知ることができました。
これから、もう少し深く学んでいこうと思います。
参考文献
西宮市史 第一巻 西宮市役所
第二巻 西宮市役所
新西宮歴史散歩 西宮市教育委員会
西宮の歴史 西宮市教育委員会