ロードバイクで中国大返し 山陽道を秀吉公を追う(機材トラブルにてリタイア)
天正10年(西暦1582年)備中高松。
本能寺にて織田信長が自害したことを知った豊臣秀吉は、毛利氏との講和を急ぎ取りまとめ6月6日に岡山・備中高松城を出発。翌7日に姫路へ入ったそう。
いわゆる中国大返しです。
秀吉公から遅れること439年。令和3年(西暦2021年)6月6日。
私も備中高松から愛馬を駆って秀吉公を追いかけることにしました。
距離にして100kmちょっと。
始発を乗り継いで8時に備中高松を出れば日暮れまでに姫路に入れる計画です。
(街道旅はスピードが出ないので、時間は長めに見積もることがおすすめです。)
まずは4時半に起きて、新幹線で岡山入り。そこでJR桃太郎線に乗り換えて、備中高松駅に到着です。
駅に降り立ち、ロードバイクを組み上げたら、高松城址へ向かいます。
水がどの高さまで来たのかなど説明が色々書いてあり、視覚的に理解できてかなり勉強になります。これだけでも来た甲斐がありました。
確かにこの城は川が近くにあり、周りを沼に囲まれていたとはいえ、水攻めにしようとは、今この場に立っても私は想像できません。
秀吉の発想力に尊敬です。
水攻めの堤跡などを見ながら東へ進み、岡山市街で西国街道(山陽道)へ合流。
さらに東へ進みます。
やはり街道は良いです。
今となってはただの狭い道ですが、ここを数多の歴史上の人物が通ったかと思うとワクワクしてきます。
また、たまに出会う歴史の面影に思いを馳せるのが楽しみの一つ。
と、街道に入って順調に進み始めたかに思えた瞬間、後輪から異音。
ガシャガシャガシャガシャというので、何かを巻き込んだかなと思って止まって見てみると、
え!!!
スポークが折れてしまっています。(涙)
普通に走っていただけなのに、折れてしまうなんて。
(レイノルズ・アタックの国内正規品です)
とりあえず、折れたスポークを引っこ抜いて走って見たところ、フレが出てしまって、ブレーキと擦るためこれ以上進めなくなってしまいました。
そこから、岡山市内の自転車のショップを3件回りましたが、取扱がなかったり預かり修理しかできないとのことで、諦めて帰ることに。。。
まだ始まったばっかりなのに、まさかの急展開。
スポークだけでなく心も折れてしまいました。
電車で中国大返しを、することに。
岡山駅に戻って帰りは鈍行。
あまりにも無念な遠征になってしまったので、また必ずリベンジしたいと思います。
何をしに来たんだか。。。とほほ
帰りに姫路駅で久しぶりに食べた駅そばは、感動の美味しさでした。
温かいそばと明るく親切な店員さんの声が心に染みる。
(ちなみに、姫路駅の駅そばは蕎麦つゆに中華麺です。これがうまい!天ぷらがおすすめ。)